「出る杭は打たれる」ではないですが、突き抜けたものに対する世間(マスコミを中心とした)の風当たりは、いまだ強く残っているように感じます。
戦前教育の反省から、戦後から現在まで安定・安心・安全が「善」という風潮があり、それに反するものは、「悪」とまではいきませんが反抗される材料にはなっています。
農業革命、産業革命、情報革命と、人類史上短期間で大きな変化を遂げている人間ですが、改めて自分がどう生きていくべきか考えてみました。
芝生として生きる
芝生として生きるには協調性が必要です。
隣の芝を侵食してまで自分だけ成長をしていこうとすると、きっと伸びた分だけ隣と同じ長さになるよう刈られてしまうでしょう。
また、周りの芝を枯れさせないよう、そして空いた部分が無いよう常に周囲に気を配る必要があります。
ただ、芝生は自分だけひたすら突き抜けることはできませんが、台風など自然災害の影響を受けにくく、それらの危機的状況をみんなで乗り越えていく強みがあります。
大樹として生きる
大樹として生きていくには向上心が必要です。大樹は先の見えない空を目指しひたすら自己の成長のためあらゆることを試みます。周囲は気にしません。
始めは頼りない苗ですが、時が経つにつれて軸のしっかりした大樹に成長していきます。
ただ、台風など自然災害の影響を受けやすく、時には倒れてしまうこともあるでしょう。
周りの木も支えてくれないかもしれません。
しかし、大樹はそれで己の人生を全うしたことになります。途中で一旦折れてしまったとしても再びそこから伸び続けることもできるでしょう。
貫くことが重要
どちらを目指すか正解はありません。
ただ、芝生と大樹は生き方が全く違うため、それぞれ目指すものも違うし、価値観も異なるでしょう。
ただ、それでいいのではないでしょうか。
芝生として生きることに決めたならその目指すものを人生で全うすること、大樹として生きることを決めたならその目指すものを人生で全うすること、つまりそれぞれの人生で目指すものを「貫く」ことが重要です。
死を迎えるときに、「芝生として生きたかった」や「大樹として生きたかった」と言っても遅いのです。
自分の生きる方向を見据えて、周りに流さず、後悔のないよう自分の魂をどう生かすかは自分次第で決断すべきではないでしょうか。
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【編集後記】
今年は税理士会野球部の春季トーナメント、秋季トーナメント、そして春日部東野球部OBのマスターズ甲子園埼玉県予選と3つの大会で優勝することができました。
ただし、勝ち続けることの難しさも痛感しています。
いずれの試合も紙一重でどちらに勝利が転がってもおかしくないものでした。
来年は追われる立場になりますので、挑戦者(無意識にそう思うまで)としての気持ちを忘れないことが必要になってきます。
また、投手としての球のキレやメンタルなどは、10年くらい前の状態より良くなっていると感じています。
野球も仕事も、意識の仕方によりまだまだ向上するものである、ということを実証すべく日々精進していきたいと思います。
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読書(人体600万年史[上]/ダニエル・E・リーバーマン)