現在、日本でモノを取得したりサービスの提供を受けるたりするためには、基本的にお金が必要となってきます。
お金をたくさん持っていれば、多くのモノを取得したり消費することができ、またサービスの提供もたくさん受けることができます。
資本主義社会に欠かせない存在になったお金について考えてみました。
※実家の庭より
お金の価値
お金というと、日本の場合は硬貨や紙幣がありますが、いずれもただの金属や紙で作られています。
人はこの金属や紙を使うことによって、生活の基礎である、衣服・食べ物を取得したり、住むための家を取得したりすることができます。
ただ本来、この金属や紙単体では何らその存在価値はありません。
(溶かしたりして再利用する価値はありますが)
紙で出来ている1万円紙幣が1万円としての価値を有するためには、人(みんな)からその1万円札が1万円としての価値があるものとして信頼される必要があります。
日本で唯一お金を発行できる日本銀行が発行し、かつ、日本という国が世界から信頼されて初めて、その1万円紙幣が1万円としての価値を有することができるのです。
しかし、この1万円の価値とその1万円で交換できるモノの価値とは、また別問題となります。
モノの価値
モノの価値とは何でしょう?
結論から言うと、モノの価値とは「このモノ(サービス)ならこれくらいのお金が必要かな」と人、若しくはみんなが考えることで決まります。
資本主義社会ではモノを売ったり、サービスを提供することが至上命題なので、自分たちのモノやサービスがいかに価値があるものなのか広告や宣伝活動で人に普及させなければなりません。
ただ、本来モノの価値とは自分自身で決めるものです。
人はそれらの広告や宣伝活動で植え付けられた価値の影響を排除し、純粋にそのものの価値を考え、自身の価値感で判断していく必要があります。
自身の価値観でモノやサービスの価値をしっかり判断できるのであれば、そこに高い安いといった相場価値との比較概念は存在しないはずです。
今後のお金の価値はどうなる?
最近の日本政府の政策はもっぱらインフレ思考です。
単純に考えると、この政策は物価を上げるというよりは「1万円札の価値を1万円以下にしていく」という結果につながっていきます。
金融緩和などを行い市場の通貨供給量を増やせば、当然円の貨幣価値は低下していきます。
(アメリカのように自国で大量に発行した国債を他国に保有させ続ければ影響はでませんが)
つまり人が判断するモノの価値は変わりませんが、通貨の価値は低下してしまうので、結果的に物価があがったような感じになってしまうのです。
(ジンバブエはインフレにより100兆ジンバブエドル紙幣を発行するほど貨幣価値が低下しました)
インフレを目指す日本政府の本来の目的なども注視していく必要があります。
まとめ
お金というのは、極論を言うといくらでも発行することができます。
(実際にお札を印刷するわけではなく、あくまで数字上の残高調整となります)
以前は「金本位制」により、金に裏付けされた貨幣の量しか発行できませんでしたが、1970年代に金本位制が廃止され「管理通貨制度」に移行しました。
これにより、政府は金保有量に依らず中央銀行を通じて通貨を発行することができるようになりました。
現在は、その貨幣を発行した国の行政府の信用(徴税権や国庫財産など)を担保として、貨幣価値が判断されています。
上記からも、お金を貨幣として持っているだけでは一生その価値が担保されるわけではありません。
ただ、貨幣の価値が著しく低下したとしても、自身で生み出す(与えることができる)価値を社会に提供し続けることができれば、その貨幣価値の低下も怖くはありません。
そのためにも、自身で価値を生み出し続けれるように自分自身やモノに積極的に投資をし、国の政策や市場の貨幣価値に左右されないような人生を目指していくことが、今後はますます重要となってくるのではないでしょうか。
【編集後記】
先々週から先週にかけてバリ島に行ってきました。
バリ島の人たちは、決して豊かとは言えませんがみんな明るくいつも笑顔です。
バリ島に来るたび、お金と幸せの関係を見直させられえて勉強になります。
※終始笑顔だったラフティングのガイドさん(^-^)
また、昨日は千葉で生まれて初めてジェットスキーに乗り、ウェイクボードも経験しました。
結論としてはマリンスポーツには向いてないんだな….いう結末でした。
自然の力の偉大さを痛感した一日でした。
気持を切替えて、得意の野球で挽回したいです。
【昨日の1日1新】
JR外房線
ウェイクボード
【昨日の自己投資】
読書(社員29人以下の会社を強くする50の習慣/金村秀一)
USCPAの試験勉強(FAR)