「株を持ってるあの会社、この前解散したみたいで清算金としてお金を受け取ったんだけど」
専門用語が多くなってしまいますが、今回はちょっとマニアックな論点でもあり重要な取扱いでもある「会社解散に際して金銭を受け取った株主側」の留意点をまとめました。
※ホグワーツ魔法魔術学校より
みなし配当について(法人株主・個人株主共通)
株主が、会社の解散によって残余財産の分配を受けた場合において、その分配額がその会社の資本金等の額のうちその交付の基因となった株主に対応する部分の金額を超える時は、その超える金額は税務上配当とみなして(以下「みなし配当」とします)として取り扱われます。
また、その分配額のうち「みなし配当」とされる金額以外の金額については、その株式の譲渡対価として取り扱われます。
法人株主の取扱い
残余財産を受けとった株主が法人である場合は、以下の規定があります。
受取配当等の益金不算入
「みなし配当」は、税務上において利益剰余金の配当等に該当するため、受取配当等の益金不算入の規定が適用されます。
なお、みなし配当は配当に係る計算期間がないため、短期保有株式等に係る配当等の益金算入規定の適用はありません。
所得税額控除
みなし配当には源泉所得税と復興特別所得税が課せられますが、これらはその全額を各事業年度の法人税から控除することが出来ます。
なお、法人税から控除しきれなかった金額は還付されることとなります。
株式の譲渡原価の計算
解散した会社から残余財産の分配を受けた時は、解散した会社の株式の帳簿価額が譲渡原価となります。
なお、残余財産の一部の分配を受けた時は、下記の算式により譲渡原価を計算することになります。
〔譲渡原価〕
一部分配直前の保有株式の帳簿価額×(残余財産の一部分配÷一部分配直前期末簿価純資産)
※上記算式の割合については解散会社から株主に通知されることとされています。
個人株主の取扱い
残余財産を受けとった株主が個人である場合は、以下の規定があります。
配当控除
「みなし配当」は、税務上において利益剰余金の配当等に該当するため、通常の配当金と同様、配当額に一定の割合を乗じた金額を配当控除として、その年分の所得税から控除することが出来ます。
源泉所得税の控除
みなし配当には源泉所得税と復興特別所得税が課せられますが、その年分の確定申告をすることによって、これらはその年分の所得税と復興特別所得税から控除することが出来ます。
株式の取得価額の付替計算
解散した会社から残余財産の分配を受けた時は、解散した会社の株式の帳簿価額が譲渡原価となります。
なお、残余財産の一部の分配を受けたに時は、 ”その有する解散会社の取得価額” から ”下記の算式により計算した金額を控除した金額” を解散会社の株式の評価額としてその取得価額を付替え、かつ、その株式をその分配の日において取得したものとします。
〔取得価額から控除する金額〕
従前の保有株式1株当たりの帳簿価額×(残余財産の一部分配÷一部分配直前期末簿価純資産)
※上記算式の割合については解散会社から株主に通知されることとされています。
まとめ
「みなし配当」は税法独特の用語ですが、解散会社及び株主双方の課税関係に影響を及ぼす重要な論点です。
解散した会社側の処理としては、みなし配当に係る源泉税の徴収を失念しないように注意すべきですが、「適格現物分配」による場合には源泉徴収の必要がないなど、取扱いの異なる部分もあるので、金銭による分配との違いにも留意する必要があります。
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【編集後記】
先日、バリ島のアグン山が54年ぶりに噴火しました。
本日、一部航空機の運行が再開されましたが、まだ予断を許さない状況です。
バリ島は小さな島(5.633㎡で愛媛県くらいの広さ)ですが、ご存知の通り日本人を中心に大変人気のある観光地です。
歴史は古く、紀元前2000年頃、台湾起源のオーストロネシア語族が移住していたとされ、元々住み着いていた現地人は日本人ともルーツが近いのでは、と勝手に思っています。
というのも、バリ島の方達の信仰は日本人に非常に近く、日本も古くから持っていた土地や祖先神への信仰が、今も根深く残っているからです。
現代の日本の日常ではあまり感じることが出来ませんが、こういった信仰は元来の日本の精神にも通じるところがあり、バリ島でも宗教的儀式である”祭り”がよく行われています。
わたし自身もっとも好きな場所であるバリ島(特にウブド)。
日本人がすでに失ってしまった信仰の大切さを思い返してくれるような、そんな懐かしい感じすら覚える場所でもあります。
神様がどうこうと信仰を勧めるつもりはサラサラありませんし、自分自身そういう押し付けの信仰は大嫌いなのですが、日本が誕生し、そして現代を迎えることが出来ているのは先人たちのおかげであることは間違いなく、当然感謝をすべきことだと思っています。
世の中が便利になればなるほどそういった感謝の念は薄れていってしまうように感じています。
今は歴史的にそういった波の最中なのかもしれませんし、また何らかの歴史的事象がきっかけで社会全体の雰囲気が昔のように変わるのかもしれません。
いずれにしても重要なのことは、私たちが生きている現代は歴史の一部にすぎず、しかし、しっかりと歴史の一部として自分が参加している、という意識を一人一人が無意識の中で持つことなのかもしれません。
膨大な歴史書を読むことが出来る恵まれた環境であることに感謝をして。
【昨日の心・技・体】
心:読書(西郷の首/伊東潤)
技:なし
体力:右肩痛のため休養
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